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Genaktion氏の発言を受けて、日本語ラップと日本におけるヒップホップの扱いについての小言

Genaktion(Gen Daniel Bell-Ota)氏のツイートと、関連する動画に感化されて書いています。

日本語ラップと日本におけるヒップホップの扱いについての僕の苦言、と言いたいですがそんな大層なものではなく愚痴・小言の類です。

 ヒップホップ音楽が好きな日本人の一人として、海の向こうから来た音楽とその文化に興味を持った一人として、歌詞の意味を他人の翻訳に頼ることなく自らの力で理解したいと思って英語と英米文学を学んだ一人として、日本語ラップ界隈の業界人や"アーティスト"やそのファンの言動に対して「なんだかな」といつも感じていました。自分の不出来な頭ではその違和感を言葉にするのが難しかったので、あまり人に言ったことは無いのですが、拙さはさておき言葉にするべきだと思ったので書いています。念の為に言いますが、これは僕のやるせない気持ちを無理やり文章にしたものです。正しくない偏見も混ざっているかもしれません。

 僕は基本的に「無知は黙ってろ」と考えている人間です。そして自分のことを無知な人間だと思っています。だから自分はこんな事を書くのにふさわしい人間ではなく、無知故に深入りした話もできません。それでもなお、これに関して自らの気持ちを残しておくことは自分にとって重要な事だと感じたので書いています。それを理解できる人のみ読んでいただければ幸いです。

 日本においてヒップホップという単語が出た時、それが文化そのものを指していることはほぼ無く、「音楽のジャンルとしてのヒップホップ(≒ラップ)」であることがほとんどであるように思えます。ヒップホップとラップは同一視されており、その違いが理解されていないのではとすら思っています。これは音楽業界によるジャンル分け・カテゴライズのせいな気もしますが。

 日本で人気のあるラッパーがYouTubeにアップロードしているMVのコメント欄や、日本でやたらと流行っているMCバトルなどを見に行けば、頻繁に目にするのは「これがヒップホップだ」「これはヒップホップじゃない」などの不毛な言い争いです。この言い合いをしている人達は、そもそもヒップホップが何かというのを理解しているのでしょうか。知識の伴わない、当事者ですらない人間によるヒップホップの定義に意味はあるのでしょうか。

 文化には歴史があります。アートには文脈があります。ヒップホップアーティストを標榜するのであれば、然るべき責任が伴うのが自然ではないのでしょうか。身勝手な借り物の「ヒップホップ」を掲げ、源流への敬意を蔑ろにして金儲けをすることは誇れることなのでしょうか。自称アーティストが他所の文化の表層部分だけを見て、表現と形式の一部だけをまねて活動をして、あたかも自分たちもその文化の一部に存在するかのような言動をして、そうやって人様の歴史と文化にあやかっておきながら、その文化に対する愛や敬意を騙り、あまつさえその文化の継承者であるかのような顔をして、その身勝手さについて「文化の盗用だ」と言及された時、否定することはできるのでしょうか。また、ファンにも問題があります。自分の好きなラッパーが批判をされたからと言って、本人ですらないファンの連中が「文化は変化するもの」「水を差すな老害」「好きなら良いじゃないか」「表現は自由」と恥ずかしげもなく開き直り、まるで「自分達に非は一切ない」といわんばかりの顔をするというのは、あまりにも厚顔無恥と言う他ありません。そういう流れに対して異を唱えることのないメディアにも僕は落胆しています。

 文化とそれが形成されるに至った歴史を少しでも学ぶことなく、それを軽々しく扱うことは文化とその背景に生きた/生きている人達の、いわば先人・先駆者達の活動を踏みにじり唾を吐きかけることにも等しい行為ではないでしょうか。僕にはそう思えてなりません。日本においては「他所から入ってきた文化や風習を受け入れて、独自のものに作り替えられたものが広まる」というのが珍しくはないので、驚くことでもないのですが、いくらなんでも限度があります。

 最後に。ラップに押韻/ライムが必要なのは何故か。英米文学をかじったことのある人間なら誰でも知っていることでしょうが、そもそも、英語圏の詩歌には押韻が不可欠です。稀に例外はあれど、基本はそういうものです。俳句が五七五と季語で作られるように、そういう形式が原則として存在しているのです。英語圏の歌を聴いてもすぐに分かることですが、どんな歌であれ多くが何らかの押韻を含んだ歌詞になっています。童謡もそうです。ラップも例に漏れず押韻があります。ただ、ラップが特殊なのは、他の音楽ジャンルと比べて複雑な韻を踏みながら喋るように歌うようになったという点です。そして、英語圏に限らず世界中のMCやラッパーがその形式に則り、その制約の中で独創的で刺激的な詩を綴り、歌にしているのです。それに対して、英語の詩歌はおろかラップについても何一つ理解していない人間が「そんなの要らない」と言い、さも有識者のように偉そうに語るというのは僕にとって到底理解のできる行為ではありません。

 別に僕の小言に同調してほしいわけではありません。ヒップホップという文化とラップという音楽をもっと良く知ってほしいと思っているだけです。

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